思うこと 第23話                2004年10月21日記

日野原先生講話「輝いて生きる」

 私の人生にとってかけがえのない大切な恩師の日野原先生と久しぶりに歓談する機会を持つことが出来た。 2004年10月16日の午後、「新老人の会」鹿児島グループの主催で日野原重明先生の講演会が開催され、鹿児島にお見えになったのを機に、講演に先立って、日野原先生ゆかりの数名が日野原先生をお囲みして昼食をとりながら懇談したのである。私が聖路加国際病院で日野原先生の薫陶を受けたのは1970年であったから( 
http://www5f.biglobe.ne.jp/~osame/essei/seiroka-omoide.html 参照)、
あれから34年の歳月が流れているのに、93歳になられた先生は当時と全く変らぬお元
気な様子で、今回も気合を入れていただき、そして元気をいただいた。 
私は先生に近況のご報告をし、2年前に痛風発作を体験し、それを機会に自分自身を相手に痛風の研究をして、その結果を近く小学館文庫から出版すること( http://www5f.biglobe.ne.jp/~osame/tsuufuu/tsuufuu-bunko/tsuufuu-bunnko.htm 参照 )、そしてまた日本画の手習いを60過ぎて始めたこと、近く個展を開催する予定であることなどをお話した( http://www5f.biglobe.ne.jp/~osame/garou/miyakebijyutsukann-kotenn/miyakebijyutsukann-osame-tenn.htm 参照)。懇談昼食会の後、そのまま近くの講演会場に移動し、すぐに講話が始まった。 演題は「輝いて生きる」であった。先生は、「75歳以上で元気な方々は人生の華ですから、新老人と呼びましょう! 75歳までは助走期間で、75歳からこそ第3のすばらしい人生がはじまるのです、輝いて生きましょう。」と熱っぽく語られ、そのお話の全てが心に染みとおる感動の連続であった。このお話の中に、私のことが2回出て来て、さきほどの昼食会で私がお話したことを引き合いにだしてくださったのも、弟子の一人として身に余る感動であった。 数日後、鹿児島大学医学部の3年生の学生から、私は次のようなメールをもらった。 「土曜日の日野原先生の講演会、感激しました。文化活動と人のQOLとの関係を話されている事に感銘を受けました。特に音楽と医療との関係を音楽療法を通じて行われている所に強く興味を持ちました。絵画に関して納先生の例を挙げられて長寿の秘訣とおっしゃっていたのも印象的でした。」 この学生は、若くして日野原先生の講話を直接お聴きしたのだから、きっと、将来いいお医者さんになるにちがいないと、嬉しくメールを読んだのであったが、ともあれ、すばらしい講話であった。